*ラルフ ~オーラニア王国「ヒュドラ・宿屋」にて~
目の前に広がる畑には、実った無数の作物が並んでいる。この村の人達は、自分達で育てた作物を食べ物にしたり、王都へ売りに出したりして生計を立てているようだ。
その他にも採れた作物で酒を作ったり、育てた家畜を使って食事を楽しんだりしているらしい。
たしかにここヒュドラはかなりのどかな町並みであり、王都インティウムとはまた違った雰囲気を持っているように思える。
昨日ここに辿り着いた徳は既に日が暮れ始めており、ここまでのどかな雰囲気を持っている事には気が付かなかった。建物だらけの栄えた王都に不便はないが、自然に恵まれた土地で自分達で作物を作る、というのも悪くはないのかもしれない。
眠りから覚めた俺は手短に身支度を終え、窓に切り取られたのどかな景色に向かって大きく伸びをし、深く息を吐いた。
あの後俺とアイリスはバトラーに言われた通り、ヒュドラで一番だという宿屋にお世話になった。
この宿屋の女将ノンは、バトラーを取り上げた産婆らしい。バトラーの母親は彼が小さい頃に病死していたため、ノンがバトラーの里親をしていたのだという。
バトラーはノンを従妹だと言っていた事を伝えると、ノンは大口を開けて笑った後、
「アイツは照れ隠しに私をそう言うんだよ。アタシは正真正銘あの子の産婆。可愛げが無いねぇ全く」
と、やれやれと言わんばかりに首を振っていた。
泥だらけの俺達を見てノンは驚いていたが、バトラーの名前を出すと「たかられなかったのか」やら「変な事言われていないか」やら別方向の心配をし始めていた。
……神父の立場である彼の威厳は一体どうなっているんだ。
とはいえ、ノンは急な来客にも戸惑う事なく俺達を快く迎え入れてくれた。むしろ辺鄙な町に来客がある事自体貴重らしく、夕食の手配や風呂の準備など、至れり尽くせりなおもてなしを受けた。おかげで昨日までの疲れは殆ど癒す事が出来た。とてもありがたい。
そんなわけで俺達は風呂に入り、待ちに待った食事を摂らせてもらい、十分な睡眠を取り――今に至るというわけだ。
「これくらい平和な景色が広がっていると、昨日の襲撃も夢だったんじゃないかって思えてくるけどな」
俺は冗談交じりに笑う。勿論笑い事ではないのだが。
俺は部屋の窓を開ける。窓からは心地良いそよ風が吹き込み、家畜として飼われている動物たちの鳴き声が――。
……。
……………………。
「……聞こえない?」
俺は首を傾げ、窓の下を覗きこむ。家の一軒一軒には家畜小屋が必ず建てられているわけだが、少しも動物の鳴き声が聞こえてこないのだ。
それだけではない。そこから見える範囲を歩いている人は一人もいない。
――一切の人の声も動物の鳴き声も、町並みから消えている。
(……田舎町ってこういうものなのか?それにしては静かすぎるんじゃ……)
俺は妙な胸のざわつきを覚え、部屋を出る。ノンの宿屋は2階に宿泊者用部屋が連なっており、1階にフロントが存在する。俺はフロントにいるはずのノンの姿を探した。
「ノンさん!おはようございまーす!昨日はありがとうございましたー!」
……いない。
「……別の所にいんのか?」
俺は1階をくまなく歩いて回る。風呂場、食堂、家畜小屋……。
しかし一向に昨日見たはずの女性の姿は見当たらない。
「……なんでいねぇんだ?」
買い物に出てるだけかもしれない。少し外にいるだけかもしれない。
でも、…何だろう、この胸のざわつきは。
俺は駆け足で2階へと戻る。眉を潜めつつ、俺が宿泊していた場所の向かいの部屋の扉を軽くノックした。昨日ノンが気を利かせて2人分部屋を用意してくれたのだ。
「…………アイリス」
俺はそこに泊まっている人の名前を呟く。少ししてその部屋の扉はゆっくりと開かれ――。
「……んむ…あと10分…」
うつらうつらと閉じかけの目を辛うじて開くアイリスが、俯きがちに立っていた。
「……アイリス!起きろ。ノンさんがいない」
「……いない?」
言葉を聞きアイリスは目をこする。目を覚ますようにぱちぱちと何度か瞬きをすると、ゆっくりと顔をあげ俺と目線を合わせた。
「……お出かけ中、というわけではなく…?」
「いや、ノンさんだけでなく町の様子もなんか変なんだよ。……俺の考えすぎか?」
「……ノンさんって、ここの村人なんだよね?……だとしたら信徒さんなんじゃない?教会にミサに出かけてるとか」
「……ミサ…」
俺はバトラーの言っていたことを思い出す。ここの村人は殆どがルミエラ信徒で構成されている、――と。
「仮にそうだとして……ミサって明け方までかかるものなのか?」
「たしかに……夕方始まって明け方までかかる、っていうのはちょっとおかしいかも?」
「だよな。……そうだとしたらノンさんはじめ、村の人達皆教会に集まったまま帰ってきてない事になる。……何もないならそれはそれでいい。バトラーさんに会いに行こう。行けるか?」
「変……」
まだ微睡んでいる様子だったが、それを振り切るように首を振る。
「わかった、……あ、待って帽子…っ」
慌ててローブと帽子を身につけると、杖を持ってアイリスは部屋を飛び出してきた。
「教会でいいんだよね?」
「あぁ。急ぐぞ!」
俺達は目的の場所へと駆け出す。宿屋を飛び出すと、不自然に静まり返った町を突っ切るようにしてそこに向かっていった。
*ラルフ ~オーラニア王国「ヒュドラ・ヒュドラ教会」にて~
俺達はヒュドラ教会の前へとやってきた。
佇まいも見た目も、昨日と何も変わらない建物。
それでも町に一切の音が無いだけで、今となっては息を潜めるように静かにそこに吊るされた鐘でさえどことなく不気味に思える。
” 全く、これからミサを執り行う俺やこんな時間に集められる信者の身にもなれっての”
バトラーの言葉を思い出しつつ、俺達は駆ける足そのまま扉にぶつかるようにして分厚い扉を引き、教会内へと入った。
「!?な、なに……!?」
「……っ!?息止めろ!!」
扉を開けた途端、紫色の煙が沸きあがる。
俺とアイリスは慌てて口元を抑える。教会内すべてに充満する煙は天井までも埋め尽くし、視界をぼんやり霞めていく。
(なっ……!!毒ガスか!?)
この煙、どこかで。
「…………っ!!!」
そうだ、この煙は間違いなく“王宮”で見た、あの――。
「 ”Toxotes” !!」
アイリスの声が建物に響く。その声と同時に煙はみるみる消え、視界が晴れる。
……そこには。
悪い予感は的中してしまった。教会の床、椅子、その全てに。
教会内には昨夜、ミサを行ったであろうルミエラ信徒……町の人々が教会内で無造作に倒れていた。
「っ!!い、いやあぁぁぁ!!」
アイリスの悲鳴が教会内に響く。腰を抜かしたアイリスはその場にへたり込んだ。
俺は愕然としつつ、慌てて足元に倒れる人の口元に手をかざす。息はしているようだが、浅い。このままだとまずい状況なのは明白だろう。
「お、落ち着けっ!大丈夫だ生きてる!!」
言いつつ、俺は教会内を見渡す。部屋の奥、中央に存在する祭壇。その陰に見た事のある白いアルバ、青いストラ。俺達が会いに来た人物の姿が見え、弾かれたように俺は傍へと駆け寄った。
「バトラーさんっ!!」
肩を揺すると、バトラーは呻き声をあげうっすらと目を開ける。焦点の定まらない様子であったが、俺の顔を見つけるとゆっくりと視線を合わせてきた。…そして。
「だーーっ!!気っ持ち悪りぃ!!!」
胸元を抑えて激しく咳き込みつつ、バトラーは飛び起きた。
「い”ッッッッッッ」
その拍子に、覗き込んでいた俺の額に思いきりバトラーの頭がクリーンヒットする。こんなことってあるか。
「何!?急に意識が飛んだと思ったら何、なんかすんごい胸がムカムカすんだけど!?」
「……ば、バトラーさんは無事だったんですね…」
「無事も何もピンッピンだが!?…ってうっわ何!?え、なんでこんな倒れてんのぉ!!?」
「み、身に覚え無いんですか?」
「身に覚えも何も何が何だか……。ミサをしてたら急に眠くなって気づいたらんな事に…」
「毒の耐性がある……と。しぶとい神父ね、あなたは」
その時、突如頭上から声がした。
俺は素早く上を向く。そこには以前にも見たような――。
そう、王宮で見た女の姿があった。
否、正確には姿を見た事は無いが、その『目』には見覚えがある。夏の灯を思い起こさせる、赤とも桃色とも言えぬ光を持つ、瞳。綺麗な瞳であるはずなのに、その光は誰が見ても恐怖心が増すだろう。
その温かさと冷たいものが入り混じるような、光。王宮に侵入してきたローブの2人組のうちの一人の目にそっくりだ。
「貴方、ただの平凡な神父サマよね。どうして死んでいないのかしら?」
「……さ、さぁ?俺にはさっぱりだね。ところでねぇちゃんはどこの奴だ?随分見慣れねぇ機械を扱うんだな」
「私の事なんてどうでもいいでしょう。質問にこたえなさいな」
バトラーの言葉を遮るようにしつつ、その女は目を細める。
「私から言わせてもらえば……毒が与える害を睡魔へと変える、何か特殊な術を持ちあわえているように思えるのだけど。何かそのカラダに仕込んでいるのかしら。教えなさいな、毒を睡眠導入剤へと変える術を。今後の調合の参考にしてあげる。正直に話せば……そうね、痛いコトはしないわよ」
「……っは」
女の言葉を聞き、バトラーも反射的に目を細める。
「ふふん。……聞いて驚け、生憎ねぇちゃんに教えてやれる情報は何もねぇ!」
「そう。役立たずね」
「ぐっ……つ、つーかこれはよ、つまり俺んトコの大事な大事な信徒たちがぐーすか寝ちまってるのはねぇちゃんの仕業ってわけか?」
「そうね。遅効性の毒ガスを吸ってもらった。じきに死ぬわよ」
「へ、…へぇ?随分やり手じゃねぇか。ねぇちゃんこそ何のためにんな事をしたんだ?暴力的なのはいただけないぜ」
「それは貴方に答える義理は無いわね。……お喋りはもういいかしら?私神父サマと話をしに来たわけじゃないの」
女はそれだけ言うと俺に向き直る。俺は身構えるように懐の剣へと触れた。
「そちらの魔法使いさんは初めてだけれど。貴方とは会うのは二度目だわ。ラルフ、といったわね」
「……っ、誰だ、お前は」
「名前がそんなに重要かしら。他に気にするべき事があると思うのだけれど」
女は首を傾げ、変わらず淡々と俺と言葉を交わす。
「……まぁ、良いわ。呼び名がないと色々不便だものね。私はリーシャ、『グリフォレイド』の錬金術師リーシャ。これでいいかしら」
「……リーシャ…」
リーシャ、と名乗った女は無表情のまま空中に留まり続けている。空を飛んでいる以上剣での攻撃は届かない。これじゃ奇襲を仕掛けようにも出来ないな、……どうすれば。
「……っじゃあ、リーシャ。お前は何で村の人達を襲った?マリー王女はどこにいる!」
「質問は1つに絞ってするものよ。勢いだけで進もうとしても何も解決出来ないわ」
「いいから答えろ!」
焦りから強い口調へと変わる俺の声に呆れるようにリーシャは溜め息をつく。
「心配しなくていいわよ。うちの『暗殺者』がマリー王女を先に連れて行った」
「……『暗殺者』?お前といたもう1人の奴か?」
「さぁね。……そこは貴方にはどうだっていいでしょう?貴方が求める答えとしてはこうかしら。”王女サマは無事”よ、『今』はね」
「……」
「そんなに睨まないで、怖いわよ。……で、何故村人を襲ったか?…だったかしら」
リーシャは考える素振りを見せる。……刹那、懐から取り出した薬品瓶を思いきり俺へと投げつけてきた。
「ッ、危ない!!」
俺は慌ててバックステップを踏み、その場から逃れる。
「村人を襲った理由。これは貴方の納得する理由をつけるには難しいわね」
俺の居た場所に割れた薬品瓶のかけらが飛び散り、その間を縫うように中の薬品が零れだす。その液体はたちまち煙へと変わり、再び教会内へと立ち込める。煙は小さな竜巻を発生させ、あちこちに形を創り出す。
「答えは簡単。あのヒトのご意向。計画の中で邪魔だったから。……けれど…それはそれで納得しないんでしょう?貴方は」
「……っはぁ!?なんだそれ……つーかこれ!!おい、リーシャ!!」
「あぁ、ほら、やっぱりね。でもそれでいいわ、引き下がってくれるとも思ってないから」
戸惑っている間にも気体だったものはみるみる質量を帯び、獣の形へと姿を変え――俺が瞬きをした次の瞬間には、見慣れた動物が何匹も生成されていた。
レーム豚やチャケット鳥、オウム牛等、家畜や食料に最適と言われる俺達にとっても身近な獣が、倒れた人々を踏みつけるようにして現れたのだ。
「驚いた?無理ないわね。彼らは元々この村で食事に使われるはずだった子達よ。豚さん達だってただ丸々太って人間の食事にされてしまうだけでは哀れでしょう。活躍して死んだ方が余程本望でしょうから」
言うや否や、リーシャは背中のスチームジェット機から濛々と煙をあげ、高く上昇して見せた。
「さぁ、可愛い子豚さん。上手く殺せばご褒美をあげる」
リーシャの言葉を合図に。
狂化された獣たちは一斉に俺達に襲い掛かってきた。
戦闘、開始だ。