オリジナルストーリー
-ベルガの悪魔-
序章 『誓い』
作者:時生時雨









焼き倒された木々。
炎の海に包まれた森。
むせる程に蔓延る土と鉄の匂い。
炎に侵された月桂樹。
死んだ森の中心で、少女はただただ生命の輝きが失われるのを感じていた。
この戦争は何故起きてしまったのか。少女は辺りに燃え上がる炎に身を震わせながら、背中の傷から漏れ出す緋を虚ろな目で見つめている。
「どうして……」
ドレイア帝国とリクレイド。
友好関係にあったはずのドレイア帝国の突然の侵略により、此処―リクレイドの領域であるシェルバの森に火が放たれた。
戦争の業火は一瞬にしてシェルバの森を喰らい、少女の生家も、森に生きる者達でさえも飲み込んだ。
皆みんな死んでしまった。
強かった父も、心優しかった母も。
流血は未だ止まらず、それは自身の生命が潰えるまでの砂時計を見ているようだった。
全てを奪われても尚、この無力を嘆くしかないのか。侵略され奪われる事は仕方の無い事なのか。
嗚呼、シェルバ様。リクレイドの守護神よ、リクレイドの滅亡は抗いようのない運命なのか。
私は何も出来ないまま戦争の行く末を見続けるのが嫌だった。
「……赦せない」
戦争も、自身も、全てを奪った業火さえも。この業火を放ったのは誰だ。ドレイア帝国軍だ。そうだ、敵軍は赦されてはならない存在だ。嗚呼、自身に力があれば、帝国軍に報復を与えてやれたのに!
夜の冷たさが少女の身体へと溶け込んでいく。悲哀と憎悪を宿した少女の目は、その終わりに抗うように虚空の月を睨みつけていた。身体が痛い。瞼が重い。それでも、まだ死ぬわけにはいかない。死んでやるものか。
────父さんも母さんも殺されて。私の命も奪っていって、それでも帝国の人達はのうのうと生きていくんだわ。何か、私に出来る事はないの。全てを奪われても、何も出来ないまま終わってしまうの!
「……嫌」
息が出来ない。目が霞む。駄目、まだ駄目なのに。
意識の灯火が消える間際、眩む視界の隅で緋い光を見た気がした。

***

ゆっくりと目を開く。
そこは先程までいたはずの森ではなかった。
埃の臭いのする薄汚れた部屋。廃屋と言うに相応しい場所だろうか。
部屋の中心では蝋燭が微かな焔を灯している。自身の寝そべっていた身体の下からは、ほつれた布切れが微かな埃の臭いを醸し出していた。
見知らぬ場所にいた事に少女は困惑したが、炎も戦争の音も無い静寂した空間は酷く少女を安心させた。
「気がついたか」
不意に、誰かの声がする。少女はその声の主を探して辺りを見渡すと、部屋の隅に男を見つけた。
薄汚い黒いローブ。口元を覆う黒いマスク。包帯を巻いた左腕には血が滲んでおり、その様子はどうにも痛々しい。
「貴方は…誰?ここは……?」
掠れた声で少女は問う。
「クラウディオ。一介の旅人だ。…この時代じゃ放浪者とも言うな」
男はその問いに淡々と答える。
「ここはリクレイドの廃屋だ。戦争を避け放浪している途中、運悪くドレイア帝国とリクレイドの戦場に巻き込まれてな。お前があの森に倒れていた所を、俺が見つけて介抱した。…お前、あのままじゃ死んでたぞ」
クラウディオの言葉で思い出したように、少女は自身の身体に視線を落とす。
背中の傷の痛みこそ健在なものの、その傷を覆うように包帯が巻き付けられ、留まる事を知らなかった流血は止まっていた。
「クラウディオさん……貴方は私を助けてくれたの?」
「……気まぐれだ」
クラウディオは目を逸らす。煤だらけのフードの影の中でキラリと光る緋い瞳は、暗闇でも凛と輝く焔を連想させる。
「…クラウディオさん」
「なんだ」
「その左腕の怪我…もしかして私を助けたせいで…?」
「……別に、大した怪我じゃない」
腕に少女の視線が落とされているのに気づくと、クラウディオは分が悪そうにローブの中へ左腕を隠した。
「……ごめんなさい」
「俺が“気まぐれに”お前を助ける為足を留めた結果出来た傷だ。お前が気にする必要は無い。…それより」
クラウディオは立ち上がり、少女を見下ろして問う。
「お前、これからどうするんだ」
「…え?」
「森は焼かれたんだ。親も住む場所も失って、お前にはもう帰る場所は無いだろう」
「………あ…」
そうだ。私は奪われたんだ。
少女の脳内に先程までの風景が走馬灯のように蘇る。突然の侵略、強奪、殺人。煉獄とも呼べるその炎は何もかもを飲み込む怪物のようだった。
「………そうね。森は炎に殺されたわ」
暫しの沈黙の後落とされた言葉は廃屋の中を反響する。
「神木も焼かれた今、シェルバ様も死んでしまわれたのか、それは分からない。…けど」
瞳に憎悪の色を宿し、少女は虚空を睨む。
「私は親を殺された。住む場所も失った。あの憎きドレイア帝国軍に!」
抑えていたもの全てが、憎悪が、思いが、溢れ出る。
「私は赦さない。神が彼らを赦したとしても、私は彼らを赦しはしない」
「…そうか」
「クラウディオさん、私、力が欲しいの」
少女は身体を起こし、懇願する。
行く場所を失った感情が頬をつたう。
背中の痛みなど、今やどうでもよかった。
「無力な自分が赦せない。彼らが全て奪っていく様を、ただ何もしないで奪われるがままでいなければならないなんて。力が欲しい。彼らを打ち負かせる程の、強い力を…!」
「…ガキのクセして復讐を望むのか。復讐ってのはな、他の犠牲と自分が死ぬ事も考えなきゃならない。後悔の連続だろう。それでもやりたいって思うか?」
「…ええ」
少女は絶望を噛み締めてクラウディオを見据える。自身の無力以上の後悔などありはしない。
澄みきったエメラルドの瞳は蝋燭の光を緋々と映している。それは少女に決意が宿ったようにも見えた。
「…まあ、暇つぶしにはなるだろうな」
ぽつり、と。クラウディオは静かに呟く。
「…お前の国は滅びた。俺の故郷も侵略されて、俺は帰る場所を失い、放浪者へと成り果てた。…俺もお前と同じだ」
立ち上がり、緋い目に少女を捉えたまま、告げる。
「どうせ行く宛なんてない。お前の『復讐』とやらに付き合ってやる」
「…ありがとう」
少女は礼を言うと、我を思い出したかのように顔を伏せる。
そんな少女の頬に、クラウディオはそっと手を伸ばす。
まるで繊細なものを扱うかのように。
その頬を撫でる指は冷え切っていたものの、どこか温かかった。
「お前、名はなんという?」
「…レイ。レイ=ルーツヴァルシュ」
「…ほう、レイ、か。良い名だ」
少女が呟いた名を繰り返す。表情が見えないはずのクラウディオの口元が、少しだけ綻んだ気がした。
「だがな、本当の名前を知られちゃあ弱みを握られたも同然だ。復讐は神への背徳に等しい。復讐者として生きるなら過去を捨てろ」
「…それ、偽名を名乗れ、って事?」
「そうだ。月桂樹の側で見つけたからな―Lauraでどうだ」
「…ラウラ」
少女―レイは、自身に付けられた名前を呟く。新たに名前をつけられた瞬間、不思議と生まれ変わったような、そんな感覚を覚えた。
「…全ては復讐の為に」
レイ、否…ラウラはクラウディオの手を取る。憎悪や悲哀、決意が互いの瞳を通して混ざり合うのを感じながら。