クトゥルフ神話TRPG

オリジナルストーリー


『バレンタイン・イヴ』





「暇ねー…」

こたつに入りながら突っ伏して退屈そうにしている清月を尻目に、悠弦は黙々と文字を綴っている。

「言葉も暇なら小説でも書けばいい。締切が迫ってる原稿があったんじゃなかったの?」

「酷なこと言わないでくれよ。筆がのってない時に文字書くなんざただの拷問だろう。そんなのドMのすることさ」

「…それで締切は破らないし毎回良作なんだから腹立つよなぁ」

「お褒めの言葉どーも」

突っ伏したまま手をひらひらと振る清月に呆れながらも、悠弦は筆を進め――ふとその手を止めた。

「…………来る」

「え?来るって何が」

「ばれんたいんーっ!いぶっ!」

清月の声を遮るようにけたたましい足音が近づいてくるや否や、リビングの扉が勢い良く開けられた。

腰に手をあて満面の笑みを浮かべているのは、私立探偵の神果宙だ。

「…宙、うるさい」

そんな神果を、悠弦は恨めしそうに見つめている。

「だって、明日はバレンタインだよ!?だから私、閃いちゃったんです!」

「却下」

「まだ何も言ってないけど!?」

「どうせロクなこと考えてないでしょ」

悠弦にバッサリ切られた神果がうう~っと呻き声をあげる。

「ま、まあまあ。たまには神果の話を聞くのも良いじゃないか。それで?何を思いついたんだ?」

「よくぞ聞いてくれました!」

清月の問いかけに神果はぴょんっと飛び跳ねる。

先程まで項垂れていた事が嘘のようだ。

「明日はバレンタイン!なので――」

そして。

ひと呼吸おいた後の神果の提案に、悠弦はいっそう機嫌を損ねるのであった。

「男の子にチョコレートを作りたいと思います!」


*****


「むぅ…チョコ作るって難しいんだねぇ…」

「難しい?チョコ溶かして、固めるだけでしょ?何をそんなに悩んでいるんだ」

「だって!せっかくならすごいの作って、すごいねって言われたいじゃない!」

清月宅のキッチン。

こたつから抜け出した一行は、動きやすい服装にそれぞれエプロンをつけ、各々チョコレート作りに取り掛かっていた。

「神果のボーイフレンド…夜兎だっけ?彼の好みはしっかり把握してるのかい?」

「バッチリ☆佳月は甘党だから、今年は生チョコケーキ作ってあげようかなって!」

「うわあ甘そ…でもそんな難易度高いやつ宙作れるの?それで失敗作あげることになるなら本末転倒だと思うけど」

「大丈夫、なんとかなるよ!」

「行きあたりばったりだなあ…もうチョコ溶かして型に流して固めるだけでよくない?変に凝ったって失敗するだけだよ」

「もうー。悠弦ちゃんは分かってないなあ!それじゃ愛情こもったチョコは作れないよ?」

「手間イコール愛情の重さってわけじゃないと思うけど。まず愛情こもったチョコなんて作ったって何になるの?」

「そんな事言っちゃってー。言葉ちゃんは誰に作るの?やっぱり夏折さん?」

「そんなとこかな。元々あげるつもりではあったから、明日会う約束自体は取り付けてあるんだ」

「わあっいいなー!私も後で佳月と約束しておかないと…。悠弦ちゃんは?誰に作るの?」

「なんで誰かにあげる前提なの。…言ったでしょ、そもそもチョコ作りなんて私は興味無いの」

湯煎したチョコレートをゆっくりとかき混ぜながら、悠弦は仏頂面で溜め息をつく。

「あー、でも南方。興味無い割には、ちゃあんとチョコ作りに専念してるよね」

ぎく。

そんな擬音が聞こえそうなくらい分かりやすく、悠弦の肩がぴくりと動いた。

「先程からチョコレートへの小言は吐くものの、作るという事自体の否定はしないし。南方の相手は―ああ、お義兄さんかな?それなら辻褄が合うってものだ」

「い…いや、それ、は」

「あーーっ!なるほど!悠弦ちゃん南方先生の事大好きだもんね」

「うるさいっ、うるさいっ…!」

うんうんと頷く二人を粛清するように、手に持ってたボウルを叩き置く。

「まあまあ落ち着けって。でもほら。お義兄さんの為に作ってるってのは嘘ではないんだろう?愛情込めて作ってやれば、きっとあいつも喜んでくれるはずさ」

「いや、お義兄ちゃんに限ってそれはない」

遮るようにぴしゃりと言い切った悠弦の言葉に、清月は口角を上げたまま硬直した。

「ぇ……。……い、いや!そんな事ないと思うよ!あ、悠弦ちゃんもしかして恥ずかしいとか?やだなあもう、悠弦ちゃん照れちゃってー!」

すかさず神果がフォローに入る。逆に火に油を注いでいる気がしなくもないが。

「あー…ホラ、去年のあいつの誕生日に手作りクッキーあげるからって作ってたよね?その時はちゃんとあげられたんだろう?」

「うん」

「食べてもらえた?」

「うん。でも」

「でも?」

「…『どうしてわざわざ作ったんですか?市販のもの買った方が味も保証されてて間違いないと思うのに。無駄な事するものですね』って、言われた」

「…え。食べて第一声が、それ?」

神果の愕然とした声に、悠弦は小さく頷いた。

(……あちゃーー!!)

(なんっっだあの白髪眼鏡!それじゃ遠回しに南方の作ったものがまずいって言ってるようなものじゃないか!)

(女心まるっきり分かってないな南方先生!もっとあるでしょありがとうとか美味しいとか!)

(『どうしてわざわざ作った』?先生の為だからに決まってるだろうが!感想は人それぞれだが、頑張りそのものを否定するような事は一番言ってはいけないだろう!)

二人は顔を見合わせ天を仰ぐ。

なんでこうも頑張った女の子が一番言われたくない言葉の地雷を、あいつはピンポイントで踏み抜くんだ。

「でも渡した先の理想を押し付けるのは違うと思うから。だから別にお義兄ちゃんに期待はしない。手作りは私がしたいからする」

「南方、なんていうか…健気だな」

「別に。作るのは苦じゃないもの。むしろけっこう…楽しい」

「クッキー叩き割りながら言う事でもない気がするけどね」

悠弦の前にはタルトの土台にするためにジップロックされたクッキー。

とっくに砕ききっているクッキーをしきりに麺棒で叩き続ける悠弦に、思わず清月は乾いた笑いが出た。

「…よし!じゃあとびっきり美味しいチョコ作って先生をぎゃふんと言わせてやろうよ!打倒南方先生ーっ!」

「うん。今度こそ。ただじゃ、済ませない」

「なんだか色々趣旨が変わってる気がするけど…まあいいか。神果、夜兎の為へのチョコも作り忘れないよう気をつけるんだよ」

「わかってるって!」

これはバレンタイン前夜のとある女の子達の恋事情。

ある者は大事な幼馴染へ。

ある者は敬愛する恋人へ。

ある者は血の繋がらない兄妹へ。

甘い甘いバレンタイン・イヴに異性の為に心を躍らせられるのは、こうして誰かの為にチョコを作る者の特権なのかもしれない。








――バレンタイン翌日に、頬を赤く腫らした白髪の男が道に転がる事となったのは、また別の話である。








END