*ハク ~オーラニア王国「大森林」にて~
夕食も終え、焚火の火も収まってきた頃。
僕はハの字で眠る二人を横目に、明日の出発準備に勤しんでいた。
ラルフとアイリスが寝付くのは早かった。疲れていたのだろうか。
”寝ちゃったね。この二人”
ニアがぱたぱた羽音を立てながら肩に止まってきた。
”なんだか旅のはじまりを思い出すんじゃない?ハクが森の外に出るようになった頃もあの子らみたいに初々しかったよね”
「……まぁ、皆旅の始まりはそんなものさ。旅人や冒険者なんて、右も左も分からないまま何かしらの事情で駆り出されていることが殆どなんだから」
僕の言葉を聞きながら、ニアは軽く欠伸をしている。
「……あぁ、それにしても驚いた。君の方から僕に道案内を提案するとはね」
”悪い奴らじゃなさそうだったしね。というか、ハクが興味ありげにあの子らをじろじろ見てたからだよ。その好奇心の後押しをしてやっただけさ”
「君はよく見ているね」
”ハクこそ。気になるんだろ?彼らが”
気になる、のニアの言葉に僕は一瞬準備の手が止まった。
”ふふ。ご名答かい?ねぇねぇ、君のそれは何?それって人間の言う『興味』ってやつ?”
「別にそう大した理由じゃないよ。まぁ、それを『興味』って言うのならそうかもしれないね」
”随分とはぐらかすような言い回しをするんだね?ハクなりに何か気になるものでもあるの?”
僕なりに気になる事……僕はひとつ彼らに気になる事があった。
生物相手に僕が欠かさず感じていた事。必ずあるべきもの。それは僕含め、ありとあらゆる生物が持ち合わせているはずのものなのだが。
僕の思い違いでなければ、彼ら、……否、彼には。
”ハク?どうかした?”
「……なんでもないよ。さ、今日もまた笛でも吹いてこようかな」
”あっ出た!ハクのはぐらかし!ごまかすなよ!”
あからさまなはぐらかしにピィピィ鳴くニアをよそに、僕は懐から笛を取り出した。これはどこかの国の楽器で”フルート”というものらしい。昔出逢った吟遊詩人から買い取ったものだが、良い音色を出す為気に入っている代物だ。
僕はニアを半ば押し込むように草籠に入れる。ラルフたちのもとに残し、穴の外へと向かった。
***************
僕らのいた穴の正体は、大樹の根元が形成した大きな空間だ。木の表面には階段状にそびえる簡易的な梯子がある。それを僕は慣れた足取りでのぼり、木の上へと腰掛けた。そこには森全体の新緑と月の光が浮かぶ夜空が大きく、大きく広がっている。僕は木の上から見えるこの景色に音色をつけることが好きなのだ。
フルートをそっと口元に当て、息を吹き充てる。
――たちまち僕の口元からは美しくも優しい音色が生み出され、森全体をも覆っていく。
僕の音色はか細く、されど力強く響き渡る。その調べは夜に眠る獣たちの耳には容易に届き、――されど子守唄のように、安らぎの詩のように静かに森の暗闇へと溶け込んでいく。
そして、一曲。思いのままに弾いていたその音色は終わり、僕はそっとフルートを口から離した。――その、時だった。
「綺麗な音だな」
思わぬ介入者の声に、僕ははっとして声のした方を向く。僕の声に反応したのは剣士の方…ラルフだ。ラルフは僕のもとに辿り着こうと、梯子にかけていた腕と足を一気に木へと引き上げ、僕の向かいの木の腕へと腰掛けた。僕の笛の音で目を覚ましてしまったのだろうか。
「すまない。起こしてしまったかな」
「いや、平気だ。綺麗な音が聞こえてきたから追ってみたらハクがいたからさ。……それより飯食ってそのまま寝落ちちまってたよな?悪い」
「それは……いいんだよ。君も初めての旅に疲れてたんだろう」
ラルフは眠気を飛ばすように大きく伸びをする。
「もう眠らなくていいのかい?」
「いや、少ししたら寝るよ。明日の出発にむけて少し頭の中を整理しとかねぇとって思ってさ。……ハクは?」
「僕も寝るよ。これはその前の日課なんだ」
「その笛が?」
「森に住む獣、……正確には僕らがやむなく殺めた獣たちへの鎮魂歌、といったところかな。弔いのための笛でもある」
ラルフの問いに答えつつ、僕は無意識に目を細めた。僕はラルフをじっと眺め、口を開く。
「……ラルフ。アイリスは?」
「アイリスは……まだ寝てるよ。起こさないように抜け出して来たんだ、疲れてんだろうし」
「……そうか。ならラルフ」
僕は笛を懐にしまい、ラルフに向き直った。
「少し話をしないか?」
*ラルフ ~オーラニア王国「大森林」にて~
「話?」
「あぁ。二人きりで、ね?ラルフもきっと僕に聞きたい事があるんじゃないか?」
俺は静かに笑いかけてくるハクの顔を見つめ返す。突然のことで少し驚いたが、たしかにそうだ。聞いておきたいことや気になる事はたしかにある。
「なら……お言葉に甘えて?」
「そうこないとね。さ、何か聞きたい事は?」
「まずは……そうだな。ハクはハーランドの失踪事件について何か知ってるか?」
「……失踪事件?」
「なんでも王都ハーランドで住民が次々と失踪してるとか…」
「……あぁ。子どもばかりがいなくなってしまう、あの事件か」
「知ってるのか!?」
俺はハクの反応に思わず声を荒げる。ハクは大声を制するように「しっ」と人差し指を自身の口に当ててみせた。
「僕も風の噂で聞いた程度だから詳しいことは知らないけどね。なんでもここ最近王都ハーランドに住む子どもばかりが失踪してしまっているらしい」
「何だそれ。何で子どもばかりを狙って…」
「それはさすがに分からないね。それにしてもはじめにそんなことを聞いてくるなんて……君たちはその事件を追っているの?」
「まあ、そんなとこ。オーラニア王宮を襲撃してきた奴らが絡んでる可能性もあるらしいし……旅の途中で聞いただけだけど、どうにも放っておけなくて」
「オーラニア王宮…なるほど。……ニアが言っていた不快な音というのは襲撃のことだったのか」
ハクは少し考え込むように顎に手を添える。ハクの呟いた言葉にひっかかり、俺はずっと気になっていた事を聞こうと口を開く。
「……なぁ、ずっと気になっていたんだが、あのニア?って鳥。お前もしかしてあの鳥の言葉が分かるのか?」
俺の言葉にハクの眉がぴくりと動く。
「……どうしてそう思うの?」
「鳥に話しかけるにしてはすげー違和感なく話してたからさ。"まるでそこにいる人物と会話しているみたいに"。どうなんだろうなーって思って」
「……へぇ、すごい。ご名答だね」
驚いた口ぶりこそしているが、落ち着いた様子でハクは俺の言葉を聞き終える。俺が口を閉じるとそれに応えるように、ハクが「うん」と頷いた。
「隠すようなことでもないから言おうか。……君の言う通りだよ、僕は彼女の言葉が理解る。彼女だけじゃない、"世界中に住むすべての動物の言葉"がね」
「それはお前の昔からの力、ってやつか?」
「分からない。……いや、分からないと言ったら嘘になるな。正確には"気づいたら理解できるようになっていた"かな。ある日突然『これはこうなんじゃないか?』と言葉が予測できるようになって、そして気づけば会話をしていた」
「へぇ?便利な力だな」
「性質と呼んでいるよ。動物の声を聞きたくて聞こうと思っている訳じゃないからね」
「動物と話せることは良い事じゃないのか?」
「悪い事だとは思ってないけど、ニアと話す事以外で必要性を感じたことはないかな。僕の役職上、不便にしかならないからね」
「……あのニアって鳥は、お前にとって大切なのか?」
「友達であり護るべき対象、ってところかな。”生物的に保護されるべき対象”。ニアの毛並み、綺麗だろう?」
ハクの言う通り、たしかにニアはコマドリにしては綺麗な毛並みをしている。何より『青色』のコマドリなんて存在するなんて、なかなか聞かない。
「『青いコマドリは幸せを呼ぶ』。そんなどこかの国の誰かが説いた噂に魅入られたアルドニアの王様は、大森林を対象に『青いコマドリ』の捕獲を命じた。己の城の庭に青いコマドリを放して、国と自身の繁栄を目論んだんだ。しかしこの大森林はオーラニア所有のもの。国所有の生き物を乱獲された当時のオーラニア王…ヴァアル王は怒り、当然戦争になった。その時に森の殆どが荒らされてしまってね。コマドリ含め元々数の少なかった生物はその殆どが絶滅に追い込まれた。もう昔の話だけれど」
「つまり、ニアのきょうだいはその種類の物珍しさから殆どが滅びてしまったと?」
俺の問いにハクは小さく頷く。
「それでもその噂が絶える事はなく、今もなお『幸せの青い鳥』の噂はアルドニアに根付いている。数が更に少なくなったことで希少価値が増したのさ、愚かな事にね」
「なんだそれ?嫌な話だな……。じゃあハクの旅の目的は、そのニアを水面下で守る、ということなのか?」
「まぁ、そんなところかな。あとは自分の身分のため、といったところかな」
「身分?」
「僕は狩猟者なんだよ。家系から代々受け継いでいる、ね」
「しゅ、狩猟者……?」
「そう、狩猟者。僕は自分を”弓使い”と呼んでいるけれど。代々人間にとって害のある動物⸺"エネミー"を排除するのが、僕ら狩猟者にとっての役割とされているんだ。だから……ここまで言えば大方検討はつくだろう?」
「自分の役職上、この力が役割の中で役に立つことはない。神はお前に、狩猟者には邪魔でしかない力を授けた。……そう思っていると?」
ハクは俺の出した解には答えない。答えないまま、ハクは別の問いを俺に投げかけてきた。
「ラルフは、害獣ってどんな動物が当てはまると思う?」
「が、害獣?……えぇと」
俺は頭の中に以前ウィルヴァ鉱山で襲ってきたグリフォンが思い浮かぶ。しかしあれは狂化された状態であったもの。アイリスは"普段は小さくておとなしいはず"と言っていた。なら、ヒュドラで襲われた時のオーム豚の群れ。いや、あれもリーシャによって狂化されたものだったな。
「わかるかな?害獣とされる獣なんてこの世にはいないんだよ。人間側が勝手にそう決めつけているだけ……それを分かっていながら、僕は殺すほかないんだ。人間の平穏のために、人間にとって害になり得る獣を、その悲鳴や叫び、怒りの声を聞きながら」
ハクは息をひとつ吐き、伏し目がちに笑う。
「ハクは、動物の命乞いを聞きながら殺しているのか」
「……ふふ。皮肉なものだろう?そんな悲鳴を聞きながら、その生き物が“害悪な獣(エネミー)”だと思いさえすえば、僕はそいつを殺せてしまう。自分が稀に恐ろしくなるよ」
ハクは弓をそっと撫で、背中の弓矢を一本取っておもむろに構える。俺から視線を外したまま、静かに小さく呟いた。
「……そして、ラルフ。君は少し不思議だ、平凡な人間や奇妙な魔導師、本能に生きる獣とは何か違う空気を纏っている」
弦に弓矢を備え、引き絞り、ハクが俺へと向き直る。
その目は、冷ややかで淡々とした――狩猟者のそれだった。
「君は⸺どっち側の人間なんだろうね」
ハクの弓矢の先が、至近距離で俺の顔の正面に向く。
「⸺っ!」
俺は反射的に剣を引き抜き、振りかぶる。木の上でバランスこそ崩しかけたが運よく刃先は弓矢を捉える事ができたらしく、その弓矢は俺の剣によって斬られ、重力に抗うことなく矢の先はぽとりと地面に落ちた。
「………はは!冗談だよ」
「……は、はぁっ?冗談?」
ハクは構えていた弓を静かにおろす。
先を失った弓矢はハクの手元から離れ、先に落ちた弓の先の後を追うように力なく落ちていった。
「僕は善性の"人間"を殺す趣味はないんだ。僕の弓矢はあくまで世を脅かす悪を排除するために存在する。驚かせてすまないね」
冷ややかな目ははじめから存在していなかったかのように、ハクの雰囲気にそぐう柔らかいまなざしに戻っていた。
「な……んだそれ、マジびびった…」
「はは、軽い挨拶ジョークのようなものだと思ってくれよ。……でもね、君が他と違うような気がするのは本当だよ。僕が知らないオーラを放っている。”人間”と”魔導師”には旅でたくさん会ってきたけど、それ以上に何か惹かれるものを持っている」
「惹かれるもの?」
「『興味』があるんだよ。君にね。……そこで提案なのだけれど」
一呼吸おいて、ハクは被っていた帽子を取り、笑う。
「君も僕も旅人。君の旅路をともにさせてくれないかい?」
*ラルフ ~オーラニア王国「大森林」にて~
「ねぇ!こっちで合ってる?」
「合ってるよ。そのまま道なりにまっすぐ。曲がる時は教えるからそのまま進んで」
「はーい!ニアちゃん行こう!」
アイリスがニアの草籠を片手に持ち、ご機嫌にスキップをしながら森の中を進む。帽子がアイリスの動きに合わせて揺れるのを後ろから眺めながら、俺とハクもその後に続いていた。
「快諾してくれてありがとうね、ラルフ。旅仲間なんてニア以外に初めてだから嬉しいよ」
「は、はは。そりゃどーも」
にっこり笑ってくるハクに俺は苦笑いをする。意味深な話をされ、弓を向けられた後に仲間にしろ、なんて言われちゃ承諾するほかねぇだろ。
心の中で悪態をつきながらも、俺はハクにこたえるように手をひらひら振ってみせる。
昨夜の事はアイリスに簡単に話すと、仲間が増えたことを純粋に喜んでいた。驚いてはいたが、動物と話せるという事は魔導師からしてみれば魔術のようなものとして案外受け入れやすいらしく、むしろその能力を羨ましがっていた。
弓矢なんて向けてくるような男を信じていいのか?とも思ったが、それ以上に断る理由がないと思った。俺もハクへの『興味』があったのか?それは分からないが。
単純に。『旅は仲間が多い方がいい』というハクの意見には大賛成だったからだ。
「さ、そこを右に曲がって。まもなく森が開けてくる」
「はーいっ」
ハクの言葉通り、アイリスが右に曲がる。しばらくすると、木々に遮られていた視界が一気に広くなる。森を抜けると同時に……木造の建物が立ち並ぶ町並み、その入り口を示唆するように大きな門のようなものが見えてきた。
「見えてきた!あれが王国アルドニア。その南に位置する海辺の街、レノンだよ」
「あれが……アルドニア…!」
「さ、関所で入国を済ませてしまおう。僕についてきて」
森を抜けた先にあったのは海の街。
レノンに入るべく、俺達はハクと一緒にアルドニア王国の門へと近づいた。
「む。入国者か。見ない者だが……冒険者か?」
「あぁ!そんなところだ。アルドニア王宮に用があって来た。手続きをお願いしたいんだが」
「ふむ。名と身分を名乗れ」
「冒険者ラルフだ。こっちは魔導師のアイリス。それでこっちは……」
”静かに”。俺が言い終わらないうちにハクが俺の口に人差し指を当て、言葉を遮らせてきた。
自分で言うと言わんばかりに、ハクは門番の前に躍り出て、一礼する。
「な、なんだ。貴様も名と身分を名乗れ」
「失礼。僕はこういう者で」
ふとハクが懐から何かを取り出す。”それ”を見るや否や、門番は驚いた様相で声を震わせた。
「……こ、これは“アポロン”の方でいらっしゃいましたか!失礼いたしました…っ!」
「……え。アポロン?」
俺は門番の発した言葉に眉を顰める。アポロン?いったい何のことだろうか。
俺はハクと門番のやり取りを聞きながら、こっそりそのハクの手元にある”それ”を盗み見る。それが何を意味するかは分からないが、弓と薔薇があしらわれた勲章のようなものを持っているのが見える。
「いいんだ。さ、当然通って良いよね?」
「ええ、勿論でございます。さ、ラルフ様とアイリス様もどうぞお通りください。ようこそ、アルドニアへ!」
門番は深々とお辞儀をして門の横に備えられたレバーを引く。ギギィ、と重々しい音と共に、大きく扉が開いた。
「ひ、一言だけで入国を許してもらえる……って。ハクさん一体何者なの…?」
「何物も何も、僕はただの旅人だよ。ちょっと弓が使えるだけの、ね」
ハクはアイリスの初々しい反応に対し、ハクはクスクスとご機嫌に笑いながらウインクした。……何か事情があるのだろうが、俺はあえて突っ込みを放棄した。あとで細かい話はまた根掘り葉掘り聞いてやるか。
レノンに入ったらまずは情報収集。ハーランドへ向かう道の調査。寝床の確保と……。あとは……。
「街に入ったらまずは食料調達をしようね。武器の調達もだ良質な旅は準備によって形成されるものだ。情報収集したい気持ちはあるだろうけど、まずは基盤を整えよう」
俺の心のうちでも見透かされているようなハクの言葉に、ぎくりとする。そんな俺の様子に気付いていないのか、完全に開かれた門を見てハクは「よし」と一言呟き、振り向いた。
「これで入国出来るよ。さぁ、行こうか。アルドニアへ」
「!早く行こう、ラルフも!」
「お、おう!」
アイリスに手を引かれるまま、俺達はハクのあとを追ってアルドニアの玄関である門をくぐったのだった。