オリジナルストーリー
-ベルガの悪魔-
2章 『それは仮初めの親子関係』
作者:時生時雨
銀色の刃が塵の舞う空間を切り続けてどれくらいが経っただろう。
仄かな日の光を宿していた刃はいつしか月光を灯し、薄暗いその空間でキラリと刃を煌めかせていた。
「………は、あ…………」
「……おい、さすがにそろそろ休憩だ。休憩も取らずに素振りなんざ、流石に体が持たないぞ」
「……っだい、じょ…ぶ……まだ、いけるっ」
「その言葉さっきから何回目だよ……」
息切れしながらも剣を振り続けるラウラにクラウディオは軽くため息を吐いた。
「あー、はいはい、お前にバケモン並みの体力がある事は分かった。…だが、がむしゃらに修行して剣術を叩き込もうったって身に付くものも身に付かないだろうが」
「あっ」
キィン、と金属がぶつかる音がする。
ラウラが振り下ろそうとした刃にあてがわれた片割れの刃は、空気を切り続ける事を容易に止めさせた。
「早く復讐したいのは分かる。…が、目の前の目標にばかり注意を奪われていれば足元を掬われる。お前は自分を労り体を癒す事も覚えろ」
「むぅ……わかったわよ…っ…」
納得は行かないもののクラウディオの言う事の理解は出来たらしい。
ラウラはしぶしぶ剣を鞘に戻し、深く深呼吸をするとその場でふらりと尻もちをついた。修行を終えた途端一気に疲労がのしかかってきたようだ。
「…全く、自分の限界も知らないで何が復讐なんだか」
「…む。そんな言い方しなくたって、」
「まあ、ガキが朝から夜までぶっ通しで素振りなんざそうそう出来ることじゃないがな。大人でさえ流石に休憩無しじゃきついくらいだ。その点はまあ…評価してやらん事もない」
そう言うとクラウディオはラウラの頭に手を乗せる。つむじから後頭部にかけて軽く優しく行き来するクラウディオの手にラウラは一瞬固まり、何をされているのか理解するとぽっと顔を赤らめた。
「……な…っあ、の、これって」
「ん?…何だ、撫でられるのは好かないか?」
「ぃや…嫌なわけではないけれど…で、でも」
「でも?」
「…………いや、何でもないわ」
「ん?なんだ。屈辱に感じるならやめてやるが」
「だ、大丈夫!誰かに撫でられるの久しぶりで、ちょっと変な感じがしただけ」
「…そうか」
自分に気を使われる事に遠慮したのだろう、ラウラは少し慌てた様子で早口気味にフォローを入れる。
「…で、でも。あ、あの、ね。もし大丈夫なら、今日眠る時に…」
不快にさせないよう気を遣うように、ラウラはこっそりクラウディオに耳打ちする。
ラウラの申し出に少し戸惑いつつも、クラウディオは小さく「わかった」と呟いた。
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「全く、改めて小恥ずかしい頼みだな…」
部屋の隅に腰掛けロング・ソード2振りの手入れをしながら、クラウディオは今しがた眠る準備をしているラウラの動きを目で追いつつ先程のラウラの頼みを思い返していた。
寝る場所の煤を払い、その上へ腰をかける。膝に布をかけるとラウラは準備万端とでも言うかのようにはにかみ、クラウディオに手招きをする。
やれやれと言わんばかりに、クラウディオはロング・ソードを立てかけ手招きに従った。
「クラウディオ、寝る時間になったわ」
「ああ、そうだな」
「……それで、その…………い、いい?」
「……仕方ないな」
期待の眼差しを向けてくるラウラを、そして落ち着かない自身の気持ちを鎮めるようにクラウディオはラウラの後ろに入り込み、ラウラの脇に手を回す。
「…ふふっ」
くすぐったそうに笑みをこぼすラウラを気にしつつも、クラウディオはそのままラウラを軽く持ち上げ自身の足と足の間へと座らせた。
クラウディオの腕の中にすっぽり収まったラウラは、そわそわしつつも嬉しそうにクラウディオの方へ振り返る。
「やっぱり。クラウディオの腕の中、あったかくて安心する」
「そうか」
不愛想に返しつつ、なかなか見せる事の無いラウラの笑みを見られた事にクラウディオも少し安堵した。
「…こんな汚ればかりの男に安心するなんて、妙なガキもいたもんだな」
「いいじゃない、確かにクラウディオのローブ薄汚れてて汚いけど…でもなんだかあったかいんだもの」
「なるほどなぁ…」
理解し難い、と言わんばかりの表情でクラウディオは適当な返事をした。
2人の会話が途切れると、辺りは静寂に包まれる。蝋燭の炎だけがちらちらと頼りなく、2人の影を壁に照らし揺らめかせている。
「クラウディオは、もうずっと旅をしているの?」
ぽつり、とラウラは問いかけた。
「まあな。帰る場所も奪われた今、放浪するしか道は残されていなかった」
その問いにぽつり、とクラウディオも答える。淡々と、ただ与えられた言葉に見合った言葉を与え返して。
「クラウディオの故郷はどんな所だったの?」
「小さな国だ。子どもがよく笑う良い国だったな」
「…その。クラウディオの国も、ドレイア帝国に?」
「俺の場合は違うな。俺の母国は、他国への侵略にあたり邪魔だからという理由で敵襲に遭った。この争いばかりの世の中だ、その国も後に滅びたがな」
戦争ってやつは大抵私欲から始まるものだ。
そう付け加えクラウディオは目を閉じる。遠い日の事を思い出しているのか顔を上げないあたり、もうこの先は語る気が無いようだ。
「…そうだったの」
ラウラは前へと向き直り、蝋燭を見つめる。小さな焔はなお頼りなくその光を震わせている。
何故罪の無い人々が命を落とし、大切な場所でさえも奪われなければならないのか。争いの無慈悲さ、残酷さに改めてラウラは唇を噛んだ。
「お前、恐れは無いのか」
不意に投げかけられた、問い。
クラウディオはじっとラウラを睨んでいる。まるで何かを見定めているかのように。
「お前はまだガキだ。復讐なんてまともなガキが考える事じゃねぇ。戦争や死が、怖いとは思わないのか」
嘘は許さない、本心で答えろ。目の前の男の赤く鋭い眼光は、そう自身に問いただしているようにラウラは感じた。
「…怖いよ、とっても怖い」
赤い目をじっと見つめ返し、答える。
「でも、ただ見てるだけなのはもう嫌なの。それがイカれているというなら、クラウディオの言う通り、私はまともじゃないのかも」
自傷気味に見せた柔らかいその笑みは、まだラウラが年端もいかぬ少女である事をクラウディオに思い出させた。
その笑みは被害者のそれであるはずなのに、諦める事を知らない、むしろ諦める事から目を背けているような不思議な表情で。
「…ああ、やっぱりお前はまともじゃないな」
年齢にそぐわないラウラの考え方をクラウディオは軽く嘲笑する。
憎悪と憤怒を抱いた少女が復讐を望んだ。奪われる絶望に抗う為の術を、力を、このクラウディオに望んだのだ。
再び訪れる沈黙。隙間風に震える蝋燭の焔だけが刻々と時間を蝕み、蝋を溶かしていく。
「…お前は哀れな奴だよ、ラウラ」
小さく呟いた言葉に返事は帰ってこない。静寂の中、耳を澄まさずとも聞こえてくるラウラの寝息。どうやら眠ってしまったようだ。
緊張感の無い年相応の子どもの寝顔に、この戦場下で張り詰めていたクラウディオもふと力が抜ける。
やがて蝋燭の焔が時間を喰い尽くしたのを合図に、クラウディオの意識も微睡みの中へと引き込まれていった。
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「う……………む…………」
ちらちらと入り込む光がクラウディオの瞼を照らし、意識を引き戻す。壁にもたれて寝てしまったせいか、首が少しだけズキズキする。
「…ラウラ?」
ふと、自身の腕の中にぽっかりと不自然に空間が出来ている事に気が付く。辺りを見渡しても、確かにその空間を埋めていたはずのその存在は確認出来ない。
クラウディオは立てかけていたはずのロング・ソードに目をやる。そこに在った剣は、1振り。ラウラに与えたロング・ソードの片割れが壁から忽然と消えていた。
(…広場で鍛錬でもしてるのか)
残された自身の剣をクラウディオは手に取り、広場へと顔を出す。しかしそこは何の気配も無ければ物も無い、普段と変わらない無機質な空間だった。
ラウラが、いない。
妙な感覚に焦燥を覚え、クラウディオは慌てて廃墟の外に出る。風に乗せられて香る焦げ臭い匂い。どこかでまた争いでも起こっているのだろう。
…近くで、争いだと?
「あいつ…まさか…!」
嫌な予感を察知し、クラウディオはロング・ソードを左腰に携える。
黒のローブを翻し、クラウディオは一目散に匂いのする方へと駆けていった。