オリジナルストーリー
-ベルガの悪魔-
1章 『特訓』
作者:時生時雨
暗い、所にいた。
前も後ろも、何もないただの空間。
不気味な程に暗い空間に不安を覚え、少女は出口が無いものかと辺りを見渡す。
ふと、遠く離れた場所で2人の男女が立ち尽くしているのを見つけた。
「母さん…?」
そこにいたのは、紛れもなく少女の母親と父親だった。
「父さん!」
少女は駆け出そうとして、立ち止まる。
暗闇に紛れ目の前には黒い炎が渦を巻いて、少女の行く先を絶っていた。
「そんな、」
少女に気づく事なく、2人は背を向け歩き出す。
「まって!私だよ、レイは此処にいるよ…!」
少女の叫び声など聞こえていないかのように、2人の男女は遠くへと歩いていってしまう。
暗闇に溶けていくその様子は、まるでもうこちらへは戻ってこないような、そんな不安を感じさせた。
「行かないで…っ!」
2人はやがて消える。暗闇の奥へと行ってしまった2人はもう、どんなに目を凝らしても見つからない。
「嫌だ、嫌だ…っ!」
頬を濡らし、声を枯らし、叫ぶ。
目頭が熱い。頭がぐらぐらする。
「独りはやだ…戻ってきてよう…!」
炎が少女を囲む。
熱い。苦しい。足がすくむ。
駄目だ、腰が抜けてしまっている。
苦しい。苦しい。苦しい。
嫌、嫌だ、嫌!
まだ、まだ死にたくない!
「…ぁ」
ふと、急激な睡魔が少女を襲う。
それに抗う間もなく、少女の意識は微睡みの中へと引き込まれていく――。
*********
ハッと少女は目を覚ます。
見渡すとそこは煤だらけの廃屋だった。
ゴソゴソと何かが擦れる音がする方向へ目を向けると、そこには今しがた荷物整理を終えたであろうクラウディオが胡座をかいて座っていた。
「お、目が覚めたな。大丈夫か?随分うなされてたようだが」
低い、しかしどこか憂いを含んだ声にラウラは酷く安心した。
「クラウディオさん。…大丈夫。ちょっと変な夢を見ただけだから」
「…こっちへ来い」
笑おうとするラウラをクラウディオは睨む。大人の、更に黒ずくめの男性に睨まれた事でラウラは少し肩を竦めた。
「概ね酷い悪夢でも見たんだろ。目元が濡れてるぞ」
近づいてきたラウラの頭をくしゃ、と撫でる。
驚いた様子で見開かれた目は未だ潤んでいる。続けて黒い手袋を外し、濡れた目元を軽く拭ってやった。
「俺がお前を拾ってから10日だ、まだ完全には心を許せないと思うが。此処にはお前の命を奪おうとしてる奴はいない。だから少なくとも変に自分を隠す必要は無い」
ラウラの顔を覗き込み、クラウディオは言う。見破られた事が少し腑に落ちないのか、はたまたクラウディオの真っ直ぐな目に戸惑いを感じているのかラウラは目を泳がせる。
「…そんなこと、」
ラウラが言いかけたその時だった。
ぐ~ぎゅるるるるるるるるるる。
何やらおかしな音が鳴り、同時にラウラがさっとお腹を抑える。
そんなラウラの様子にクラウディオは目を細めた。
「…ごめんなさい」
「謝るな。この10日間食欲が無かったお前にとっちゃ喜ばしい事だろう。…待ってろ。今食事を出してやる」
顔を赤くするラウラをよそに、クラウディオは後ろに置いていた小振りの釜の蓋を開けた。
ふと、麦の優しい香りがラウラの鼻をくすぐる。
「これ…プルス?」
「ああ。お前の国でよく食べられる物なのだろう?今日の食事だ。見よう見まねで作ったから口に合うかは分からんが」
「わざわざ作ってくれたのね。ありがとう」
「本当はお前が食欲の無かったこの10日間も作ってやってたんだがな。お陰で残飯処理が大変だった」
「…ごめんなさい、クラウディオさん」
「だから謝るな。あとクラウディオで良い。…俺は食えりゃ何でも良いんだ。それにこんな時代じゃ、満腹になる事も無い。…わかったら食え」
「…わかった、クラウディオ」
そう言ってラウラはプルスを口に運ぶ。
素朴だが温かい、よく知るプルスの味だ。
「…美味しい」
「そうか。なら良かった」
ラウラの顔が少し綻んだのを見てクラウディオも少し安堵する。
「そういや、背中の傷は癒えたか?」
ラウラの腹の辺りを指差して問うクラウディオに軽く頷き、ラウラは背中を向け服を捲って見せた。
鋭い跡はかさぶたが塞いでおり、未だ傷の名残こそあれど10日前と比べると確実に傷は塞がっているようだ。
「ええ。まだ傷は残ってるけど、手当てしてくれたお陰でだいぶ良くなったわ。ありがとう」
「礼はいい。それじゃ、そうだな…食い終えたら隣の部屋に来い」
「どうして?」
「来ればわかる。先に行ってるからな」
淡々と告げ、クラウディオは静かに立ち上がる。
残されたラウラはしばらく不思議そうに首を傾げる。吹き込んできた風に自分の髪を撫でられ、思い出したように捲った服を直し皿に乗ったままのプルスを口にかき込んだ。
*********
隣の部屋を覗いたラウラは思わず目を見開いた。
煤で汚れ、隅には雑草が生えている広い空間がそこには在った。
傷の治療の為ベッドのある部屋から一歩も出ていなかったラウラにとって、そこは初めて知る場所で。
(この廃墟、こんなに広い部屋があったのね)
ラウラは壁に手を添えながらゆっくり部屋へと入る。少しだけ肌寒い。先程までいた部屋と比べ、此処は隙間風が入り込みやすいようだ。
「飯、食い終わったんだな」
声のする方を見やると、そこにはクラウディオが長い何かをさすりながら壁にもたれかかっていた。クラウディオはこちらに気が付くと、手に持っていたそれをラウラの前へと投げる。
慌ててキャッチすると、その勢いも相まって腕の中へずしりとのしかかる。それはラウラの腕よりも長く、黒い革の鞘に納められた立派なもので。
「これ…剣?」
「ロング・ソード。俺が護身の為に使っているもののスペアだ、やる。それで特訓してやるから構えてみろ」
「特訓?何の?」
「何って、お前が力が欲しいと願ったんだろ?…―剣術だよ。お前の為に頼まれた“力”とやらを授けてやる」
クラウディオはじっとラウラの様子を見つめている。薄暗い空間でも射抜くように光り自分へと向けられた赤い目は何だか試されているように感じ、ラウラは少し体を強張らせて鞘から剣を抜いた。
鞘を取り去ると、中から鋭い銀色の刃が姿を見せた。深い青に金の装飾が施された柄は静かな海を連想させ、くるりと裏返した刃は壁の隙間から漏れ出る僅かな光を反射し、キラリと光る。
初めて手にする剣に驚きつつ、ラウラは柄を深く握って構えクラウディオに向き直る。
「剣先が下に向いているな。重いか?」
「少し。でも大丈夫よ、これくらい」
「それでも鋼で作られているから、従来のロング・ソードと比べちゃだいぶ軽い方なんだがな。まあ、慣れろ。剣はそういうものだ」
「ええ」
ラウラは両手で握り直し、ぐいっと剣先を上げる。
「じゃあまあ、まずは剣を余裕で持てるくらいの筋力を付けないとな。そんなヒョロヒョロのガキのままじゃ、復讐はおろかそこらの野生動物にも勝てやしねぇ」
そう言うと、クラウディオは壁に立てかけてあったもう一つの剣を手に取る。
黒い鞘から顔を出した刃は鋭く、ラウラの持つ剣と酷似している。オリジナルの方だろうか。
「…特訓の前にさっきから気になってたんだけど。その『ガキ』っていうのやめてくれない?なんか子どもだから出来ないって言われてるみたいで嫌なのよね」
不機嫌そうに頬を膨らませてラウラはクラウディオを見やる。そんなラウラを気にしていないのかわざとなのか、クラウディオはふっと鼻で笑う。
「ガキはガキだろ。生意気言うな」
「だからやめてってば」
「はいはい。お前がガキらしくもない剣術を身につけたら考えてやるよ」
ラウラの頭にぽん、と左手を乗せてクラウディオは笑う。
完全に小馬鹿にされている。ラウラはますます頬を膨らませ、クラウディオを睨んだ。
「貴方、優しいように見えてそうでもないのね」
「大人なんてそういうものだ。…ほら、さっさとやるぞ。まずは素振りだ」
クラウディオはラウラの横に立ち、片割れの剣を構える。
「腰を落とせ。棒立ちじゃ敵と戦うどころの話じゃない。それから…」
灰色の壁に囲まれた、煤だらけの空間で、2人きり。
こうして、クラウディオによるラウラの特訓生活が始まったのである。